東北の震災と観光を巡る旅

5月31日
から3泊4日

 

小さい写真は大きくなります

東日本大震災から6年目になり、やっと自分の目で見に行く事が出来ました
美味しいものと、文化や景色に期待も詰めて、
”とにかく行けるところまで行ってみよう”の勢いで4日間の東北の旅が始まりました
 

佐久インターから上信越、北関東、常磐道を乗り継いで、歩絵夢からちょうど5時間で
原発事故のあった広野町に着きました そこから国道6号で、人気のない楢葉町〜双葉町などの帰還困難区域を通りました 国道以外すべての道とすべての家 々にゲートがあり、
人といえば検問の警察官があちこちに立っているだけでした 


雑草が生い茂る家も商業施設も車も、プツンと日常を切り取られたままです
畑のあちこちに原発汚染土の黒い袋が見渡す限り積まれた光景も、まったく非日常でした
コンビニは営業していて人が集まっていましたが、店内は無言の男の人だらけでした
 

行き来するのはほとんどがトラックです、旅の間中ずっとトラックの波と同伴しました 
ホコリと騒音をまき散らしながら、黙々と延々と
絶えることなく走り過ぎます 
この異常なトラックの数は、どこまでも果てしないように感じました
帰ってみたら2人とも、福島の写真を1枚も撮っていませんでした
でも記憶の中の福島は忘れられません

福島の南相馬インターから常磐自動車道に乗り、昼過ぎに仙台に着きました
伊達政宗とその子2代の霊廟がある瑞鳳殿に行きます
大きな杉並木のなか、当時のまま残る幅広い石畳を歩きます
杜の都らしい、山全体から風が吹き抜ける気持ちのいい空間です
福島の重苦しい空気から解放されたこともありました
彫刻の素晴らしい涅槃門の前にボランティアの方がおられて、説明を伺いました
瑞鳳殿は国宝に指定されたのに消失してしまい、1979年に再建されたそうです
絢爛豪華な彫刻の中の天女が足裏を見せて飛んでいるのは、
ありえないポーズをするほどすばらしい世界を表現しているのだとか!?ん〜納得!?
仙台城があった三の丸跡に、仙台市博物館がありました
館内は広く、充実しています
特に仙台城の模型や、慶長遣欧使節でスペインに行った支倉常長の顔に 感動〜、
当時のロザリオや十字架など国宝がたくさん展示してありました
青葉山の崖も取り入れた天然の要塞と、
大きな石垣に囲まれた広い城内の頂上が本丸跡です
金箔をつけた瓦も発見されたようです、内側も金地の障壁画だったので
政宗の仙台城も、信長や秀吉みたいに黄金色だった?
テレビなどでよく見る、やはり堂々とした政宗の騎馬像です
広瀬川がゆったりと流れる仙台の街並の景色です
道幅も広く(中心は片側5車線もある〜)、大きいのにすっきりした街だなぁと思いました
おみやげのあちこちに、名物”ずんだ”ものがありました(ずんだもちも美味しい)
ずんだシェイクを飲んで、仙台から30分ほどの松島に泊まりました
夕食は あわびや鯛の海鮮を御馳走になりました
朝6時に起きて、泊まった宿のカーテンを開けたらアラ〜この景色
この船たちはもう帰ってきたところ?
(地元の人が、何をしてるかわからないけど、しょっちゅう調査の船が
出入りしているんだと言っていました 津波の影響はまだ残っているのかな?)
目の前に福浦島というのがあって、朝7時に散歩に出かけました
歩きやすくて、一周1時間くらいの大きさです
 穏やかな内海、点々とある大小の小島が光って見えました
朝食を食べて、松島湾にちょっと突き出てるので、足元から海が見えるすかし橋を渡り、
桃山建築で東北最古と言われる五大堂に行きました  
そのまま歩いて瑞巌寺に も行きました
平安時代からあるお寺が前身で、その後伊達家の菩提寺にしたそうです
入口正面は工事中とかで、わき道から歩き始めます
1000年以上前から岩を削ったお堂で修業した僧が数千人もいたとかで、
仏様などが彫られていたり、住まいになったりしていました
寺内を40分ほど、ガイドさんに説明してもらいました
国宝になっている本堂も一緒に歩いて、たくさんの話をしてくれたガイドさんと一緒に♪
”復興はまだかかるけど、松島は一人の犠牲者も出ず、
他の地域の事考えると、ガンバロウって思える!”と言っていました!
本堂から見たら、工事中はこれでした
山門からびっしりと杉並木があったそうですが
津波で本堂近くまで潮をかぶり、ほとんど全滅したそうです
少し高台にあった左側の杉は残ったそうですが、景観は一変したようです
本堂の周辺も庫裡があったり、立派な木々がありました
左の2株の花は”せっこく”という蘭の花だそうで、老杉のてっぺん近くに
数百年前に自生して、毎年今頃花を咲かせるそうです
松島を一望するなら”壮観な大高森”と本に書いてあったので、
登ってみる事にしました、頂上まで20分登りました
(私達の旅行には、なぜか山登りがもれなく入っておりまする)
なるほど上から見る松島は遠くまで見渡せて、広々〜
たまたま頂上にいた石巻のご夫婦にも、震災の話を聞かせてもらいました
松島を出て、北上を始めます
石巻市の石巻漁港のある海岸沿いの道路はまだ復興途中で、ナビはお手上げ
周辺の道路は、やっと真新しい水産工場などが立ち始めていました
立ち寄ったコンビニで聞いたら、食べ物屋さんはほとんどないよ言われましたが、
地元の若い人が始めたプレハブのラーメン屋さんと、
津波が2階上まで来たけれど、お向かいの工場のおかげで流されなかったという
ケーキ屋さんでお昼ご飯いただきました
また少しずつ北上を続けます
三陸自動車道も使い(全線は繋がっていませんが、復興支援という事で無料でした)
南三陸町を抜けて、気仙沼に入りました
海岸が見える地域はどこもかしこも、延々と道路や防潮堤や橋を造っています
見上げるような防潮堤もありました
気仙沼市役所の近くに、復興屋台村気仙沼横丁と書いてある、
ここだけ明るい場所がありました(近くに泊まるならここで食べたかった〜)
このあたりは津波の被害が大きく、道路も大きく迂回したままです
道路が変更した場所ではナビが混乱して、勘で行くしかありません
家はまばらで、山の斜面も崩れているところがあります
建っている建物は空き家のまま、先ずはインフラの整備をしてから街づくりでしょうが
5年経って まだここまでとは・・・
その一角に車を置いて、フェリーで気仙沼大島に向かい、そこで1泊します
フェリーに乗り25分で気仙沼大島に着きました
通勤通学の人たちも乗る、人の住む島でした
ホタテの養殖筏が沢山見えていて、夕食もホタテづくしでした
朝食前に1時間、周辺の散歩に行きました
澄んだ海が広がり、どこまでも豊かな海を実感します
ホタテの養殖筏が見える中、一日も早く元の活気を取り戻し、
大きな船の行き交う港になって欲しいものです
復興になくてはならない、どこまでも続く国道45号線で、陸前高田市に向かいます
この地に着いた途端どうしてもと思い、 陸前高田市の語り部ガイドさんを頼みました
遺構になっている”旧道の駅”で待ち合わせしました、
GSの看板も残り、上の方に津波が来た15メートルの矢印が見えます
見上げるだけでクラクラしました
1本だけ残った奇跡の一本松が見えました
枯れてしまったので復元されて、灰色の景色にポツンとさみしそうでした
右は復興のため導入した世界初の大型ベルトコンベアです
12mかさ上げした土地を作るため山を削り、1年7カ月で高台を作ったそうです
七万本もの松が涼しい小道を作り、
海水浴場の風景になっていたとは思えない風景になっていました
坂の上にある古刹普門寺にも連れて行ってもらいました
流された松の木で作った親子の仏像が安置していたり、
残された人が思い思いに作った五百羅漢が、庭に点在していました

急なお願いにも快く応じてくれたガイドさん、ありがとうございました
職場を失い、たどり着いたのが語り部の仕事だそうです 
話しながらも、この現実はうそなんじゃないかとまだ時々思うと言っていました

陸前高田市からまた北上し、釜石や大船渡を過ぎ、大槌町を通りました
ポツンとある建物に近づいたら、町長や40人もの犠牲者を出した”旧庁舎”でした
3時過ぎに宮古市に着きました
昼過ぎから一人(わたし)腹痛になり、早めに宿に入りました
これまで早起きしたり、いろんな風景を見続けて、疲れが出たのかも・・・
この宿の食事をとっても楽しみにしていたのに食べれませんでした、無念〜
朝食も豪華だった・・いつかリベンジせねば〜
4日目です、最後の日 たくさん寝たおかげで元気回復し、浄土ヶ浜に向かいました
観光地や自動車道のあちこちに、”三陸復興”の文字が付いています
ビジターセンターで復興の様子も見た後、海岸沿いを歩き、浄土ヶ浜に着きました
透明な青い波が打ち寄せる穏やかな景色です
さっぱ船なるものを見つけて、”青の洞窟探検”に行ってみました
小さな船に乗って、浄土ヶ浜を眺めながら出発を始めた途端
1袋づつ渡された”かっぱえびせん”目当てで、ウミネコ達がワラワラと飛び乗ってきました
10数羽がそばで大騒ぎです!頭に乗って離れない〜全部食べ終えたら散って行きました
ガイドさんのあったかい話を聞きながら、洞窟の青さに見とれました
田老地区にある三王岩を見てきました、美しく続く三陸海岸も望めます
流された歩道を整備しているおじちゃん達が、”どっがら来たんだぁ〜?”と
声をかけてくれ、嬉しそうに”気ぃつけてなぁ〜”と大声で手を振ってくれました
近くに田老地区に残された”たろう観光ホテル”がありました
17メートルの津波に耐えたそうです、足が震えるようでした
海と別れて、最後は遠野物語で有名な遠野に向かいました
宮古から1時間30分ほど山道を走りました
田舎道の辻で車を止めたら、オシラサマのいらした家の前でした
”山口の水車小屋”です
もっと古びた水車小屋だったはず・・・と思っていたら去年立て替えたそうです、残念〜
周りの風景は変わらずなので、ン十年もしたら景色に馴染むんでしょうね
”デンデラ野”という場所だそうです
還暦を過ぎた老い親が、この藁ぶきやに集められたそうです・・・もうすぐあ・た・しも〜
信仰の山に囲まれた遠野の町をぶらぶら、早池峰山いつか登ってみたいな〜
かっぱ伝説のある神社と、”かっぱ淵”の周辺を歩きました
今でも夜は真っ暗になって、いろんな生き物が歩いていそうな場所でした
伝承園”で郷土食の”ひっつめ”と、炙りチャーシュー丼を食べ、
かっぱの付いた麦わら帽子をかぶり、
曲り家のある風景を体験しつつ、
囲炉裏のある部屋で、音声だけですが訛りのあるおばあちゃんのオシラサマを聞きました
遠野を後に、一路蓼科まで8時間近くかかり帰宅しました
全行程1,618kmの旅となりました
前日に泊まる場所だけ決めて、あとは成り行き任せの旅でした
原発や東北の津波の状況は、考えるのと見るのとでは大違いでした
陸前高田市のように、市民の話し合いを重ねて早めに動き始めても、まだまだ道半ばです
この忍耐は長すぎると、つくづく思いました
100年前に遭った明治三陸地震も教訓に、新しく、よりよく生まれ変わる事を願うばかりです

美味しいものや海や山や建物に感動したり、気持ちが 落ち込んでしまう景色を見たりと
いろんな思いが常に混じりっぱなしの4日間で、思いも少し感じる事が出来ました

地元の方々と少しばかりですが触れ合えた事も、何よりの思い出になりました
今までの旅よりずっと、皆さんの顔を憶えてられる気がします