風にのって 初夏の便り

 
  2002年7月
 歩絵夢の周りの白樺が芽吹くと、私の花粉症も第二ラウンド突入です。
本格的な夏の暑さが来たかと思えば、いきなり寒くなり体調が狂いやすい季節ですが皆様、お変わりありませんか? 風にのってしなやかに生きていけるといいですね。

 カントリーウオークと言う本が書店で目に止まり、パラパラと目を通すと、朝子供を学校に送ったついでに、田畑の周りや小さな森の道を犬と猫の散歩をしているのと同じ事が書かれていました。春先の小さな森から若鳥達の大合唱が響きわたり、何物も近づけない程やかま しい・・・・かと思えば、目の前の電線にカッコウが止まり、アイリングの黄色が分かる近さで私一人に聞かせてくれた歌声、この時ばかりは幸せの一人占めでした。


 雨覆羽(あまおいばね)は褐色に青みがかった灰色、尾羽と翼は長く鋭く尖り、メリハリがあってカッコ いい・・・・。 しかし全てが気持ちの良い事ばかりじゃない、どういう訳か「今日は出会うぞ!」 と思うと、100%に近い確率で目の前に現れて、猫と犬を抱き上げ一目散で飛び上がりながら逃げ惑ってしまいます。ヌメッとしたヘビは高い所から下を見るのと同じくらい苦手です。それなのに3回連続して見た時もありました。近くでケンケーンとキジも鳴く小さな牧場の脇を通ると、牛の臭いがしてまさにカントリーウオークの気分です。

 前回、皆様にお出しした物語を何人かの方々に関心を持って頂いたのと、たくさんのアドバイスを受ける事が出来た事を感謝しています。以前に作った物語もプレイルームに置いてありますので、機会がありましたら目を通して下さい。
子供達に直接お話するのは比較的楽に、そして即席にできますが、活字にする事の難しさを思い知らされます。でも大してめげていません、根が単純ですから!


 あのような話でよければ、「お話聞かせて!」と言って頂ければ、直ぐにお話が出来ますので、遠慮なくお声を掛けて下さいね。(ただし、大人はダメですよ!恥ずかしいから)

 さてさて娘の芽衣は、5月下旬からオーストラリアのブリスベンで、英語学校(QCE)に通い始めました。 昨年の11月に、留学先をオーストラリアに決めました。ダイビングに挑戦したいな!」この一言、ダイビングと我が家の家計が一致する場所が、オーストラリアだったのです。 しかしニュージーのようには受け入れがスンナリといきません。英会話の先生で留学の手助けしている方と、妻が相談して、高校が決まりましたが、内容は来年の1月に入学を許可するという事でした。
大きな誤算です、一瞬どうすればよいのか解からず、動揺が走りました。


 しかし考えてみれば、英語学校で高校入学の準備をしたほうが、本人にとって良いだろうと思えてきました。 授業を理解するには7000語以上の単語が必要ですから、8月からの英語学校を5月から行けるように手続を取る方向に転換。

 その他に東京まで出向いての健康診断などなど。(チャッカリと、妻と芽衣は買物を楽しんで帰宅。)学校の入学が許可されると次は、就学ビザの取得ですが、これも結構手間が大変そうでした。


 「申請用紙に記入漏れがあります。」と言って出発間際に書類が戻ったり、 一週間前になってやっとビザが貰えたが、肝心の英語学校からホームステイ等の連絡がまだ来ない!などなど・・・芽衣のおかげで私も何だかドキドキ、ハラハラとても心配だったけれど、未知の体験が始まりました。旅立ち間際になってやっと、ホストファミリーを紹介されましたが、家族構成は夫婦と男の子が3人(16才に14才と9カ月)の5人家族です。


 年頃の男の子がいる家庭に、少し心配しましたが、ホストファミリーは女の子が欲しかったようです。毎日親に甘えていた彼女を、5月24日に家族で成田空港まで送り届けると、魔女の宅急便のキキのように私達から旅立って行きました。


 1ヵ月後に3度目の電話を掛けて、彼女の声の反応を聞くと親の心配はどこに置けば良いの?ホストファミリーにとても可愛がられ、Q C Eで知り合った韓国、中国のクラスメイトの家に遊びにいったり、ドライブに連れていってもらったりで、ホームシックになったのがたったの一日とは 、なんと言うことでしょうか。


「友達とは一応は英語で話しているよ。それに韓国語って面白いから覚えたいな、それとサッカーのW杯はパブで50人位の日本人と一緒に応援していたよ 。それにしても学校の宿題が多くて難しいよ。」 はいはい、結構でございますね。 彼女にすれば150万人の大都会は初めて。学校の帰りはお金は使えないけれど、ウインドショッピングを楽しんでの帰宅に、満足してるようです。
オーストラリアは日本と季節が反対なので、これから冬が来ますが、私は夏にグレートバリアリーフを見に行きたいと思っています。無理かな〜。

 またまた話は変わって、20年振りに川崎に出掛けて来ました。改めて20年の時の流れ、そしてこの中には溶け込めない自分を感じました。
さんざん通い憤れていた筈の道や、景色が自分の記憶と余りにも違ってしまい、戸惑いと悲しみが入り混じる・・・。梨畑や田畑は言うに及ばず、大好きだった二つの沢は埋められ 、住宅が建ち並んでしまった。


  霞網で野鳥を補えてペットショップ(小鳥屋)に売り込む人達がいることや、渋谷のガード下の蛇屋さんがマムシを捕獲しに来て、赤マムシと黒マムシがいることなど教わり、当時中学生だった私には いい刺激でした。


 そして狐や狸がいて、古墳公園や今回出掛けた緑ヶ丘霊園は、多摩丘陵の桜の名所です。霊園の桜の樹は大きく育ち、我が家の墓所(空き地のまま)は、わかりづらく伸び放題のツツジが、はびこっていました。私は長男ですが 、子供は女子なので、妹の家族の協力がないと後が続かない。日本もあと100年もしたら人口が減り、こざっぱりとするのでしょうか?
 

 墓所の草刈りなどを終わらせての帰り道、ふと目にした向ヶ丘遊園地のあの大観覧車、どうするのかな?小学校(東京の雪ヶ谷)の時から慣れ親しみ、思い出は数知れず・・・閉園するとは残念です。